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hiroの日常を語るブログ

行動学入門

三島由紀夫の随筆に行動学入門というものがある。

三島由紀夫というと、小説家で有名だが、日本文学研究で有名な故ドナルド・キーン氏は、三島由紀夫の作品で一番評価するのは評論で、次に戯曲、そして小説であると述べている。

三島由紀夫の随筆はとても普通の観点から書かれたものと思えないほど面白いことで知られている。

三島の行動学の本を紹介したのは、私が読んでいた、恋愛の達人が書いた本のあとがきで紹介したからだ。ざっとまとめると、目的のない行動はない、よって目的のない生き方をしている人は行動を忌み嫌う。思想が目的を持って動き出す時、最終的に言葉ではなく、肉体行動に帰着するのは当然である。というようになる。

 

私は人生で後悔したことがいくつかある。

もちろん後悔というのはしても意味がない。だが私の自戒として、心からの反省として覚えているのであれば損はないだろう。

後悔したこと、それはシンプルに行動しなかったことである。それに尽きる。

では今何をすべきか答えは明らかである。行動である。目的を持ち、その目的が帰着した行動を積み重ねるということで、過去の後悔に決着をつけることになる。少なくとも過去の後悔から学んだのはそのことである。

日々新たに

日々新にして又日々新に

これは禅語である。

原文は日々新又日々新

お茶席に参加するとこのような文字を書いた掛け軸が掛かっているのを見たことある人は多いかもしれない。

何に対しても新しい心で接すれば、すべては新しい。

前に時間について述べた。

過去、未来もすべて今である。過去、現在、未来は相対的である。

過去は時間ゲシュタルトとして存在するものであり、現在と相対的であるならば、過去は現在の判断にとって作用を及ぼすか?

例えば過去に自分に対して傷つけてきた人に対して、過去の記憶を持って接するべきなのか?

私が思うに、私の経験からは、そうなる時もあるが、そうしなくてもいいと思っている。

過去、現在、未来が相対的な存在であり、それらが全て今この瞬間という単位においては同質であるとすれば、現在全て接するものに対して、過去の出来事を適用する必要はない。

過去に一度会ったことある人、嫌なことを思い出させる人に対しても新しい気持ちで接してもいいのではないかと思う。

私は最近昔いやな気分をさせられたように思う人に会ったが、そのいやな気分はいつのまにか忘れ、話しかけていた。

なぜなのかはわからないが、新しく会うような気がしたのである。

 

時間について 過去の意味

曹洞宗の祖師道元の時間に関する考えは、アインシュタイン相対性理論にも通ずる考えらしい。つまり、現代物理学における時間観念と同じような認知を道元はしていたということになる。

かなり単純化すると、過去の自分、未来の自分も今の自分もみな自分であって、過去の自分にもその時の今の自分がいて、未来の自分にもその時の今の自分がいるというような考えだったと思う。過去は存在しない、今しか存在しないという考えに対し、道元は過去も今であった自分が存在していたのであり、過去がないということではないと考えたのだと私は理解している。

昨今のマインドフルネスなどの自己啓発書には、今を生きろ、過去は振り返えるな、という考えがるが、そらは今しか存在しないのであり、過去はすでに存在しないという意味ではなく、今という時間に意識を向けろという意味なのである。

だが、さらに考えてみれば、過去も今も自分は自分であり、過去は過去にあった今いる自分なのであり、等価であるとも考えられるのである。道元の場合、人間だけではなく、動物、木、山、小石までにそのような法則の中で生きていると考えているようである。

では過去とは何なのか。フランクルという心理学者は過去とは時間ゲシュタルトとして不可侵に存在するものであるとしている。この時間ゲシュタルトという概念は少し難しい。例えば音楽もこの時間ゲシュタルトとして存在するものの1つらしい。音楽は物質としては存在していないが、時間を媒介して存在している芸術とされる。さらに例えれば、以下のようになる。

あなたがひとりの恋人がいたとする。その恋人が不慮の事故により亡くなり、あなたはその恋人の存在を失ったことで、悲嘆にくれている。彼女または彼氏の肉体的な存在は現在、そして未来にはない。しかし、その人の生きていた過去というのは時間ゲシュタルトとして完全に存在していたのであり、いかなる現在、未来の出来事もその時間ゲシュタルトとしての存在を脅かすことはできない。

このことは過去に起きた出来事が完全に存在するものであるから、トラウマを逃れることができないということではない。

過去というのは今現在と同じように存在する時間であり、未来も同じく、それらは相対的な今この瞬間の認知として存在しているものであるということだと、私は考えている。

 

そこで私は考えてみた。私が子供の頃から過去にしてきた選択や行動、それは今思えば間違えたものかもしれない。だが、その選択や行動は今と同じような今に行われたものであり、今この瞬間とその私の時間への向き合い方に関しては同等のものであって、未来の今も、今と時間に向き合う私という存在としては同等のものであるということである。

よって、物事に本質的な後悔というのは存在しないのかもしれないとも思うのである。

宮本武蔵の言葉で一番印象に残っている言葉がそれである。

我、事に於いて後悔せず。

 

生きる意味とやめる意味

自殺論や自殺についてという古典的な名著がある。自殺論の中に紹介されている論考は非常に面白かったと思い出される。

だが、自殺といってもたくさんある。

ヘミングウェイの自殺、三島由紀夫の割腹、戦国武将の切腹、阿南大将の自決、黒澤明の自殺未遂、架空の人物であればアンナ・カレーリナの自殺などなど

有名人や歴史上の人物らも、自らの決意により、生命装置を止める、あるいは生きることをやめるということを行なっている。

上に挙げた人々の自分を殺す行為、つまり自殺の理由は様々である。だが皆考えを変えたり、現実に行きながら、考えを殺すのではなく、行動で自分の肉体を何らかの方法で、止めようとした、あるいは実際に止めたのである。

彼らの中には死なずに、殺されない立場への還俗や、先ほど述べたように、考えを変えて現実に生き続けられるように適応することや、強い意志により、それがそれまで生きていた自分を変えるという精神的な死を意味しようとも、生き延びることなどすることもできたであろう。もちろん、錯乱状態や気分の落ち込みにより、正常な考えができなかった可能性もあるが。

では、そのような精神的な死と、実際に死ぬのとはどのような違いがあるのだろう。

おそらくであるが、死というもののインパクトの違いがあると思われる。人は誰かが死ぬと、それが誰であれ強い衝撃を受けるのだ。だが、それは戦争や災害などの異常状態ではなく、社会が維持されている状態、平和で死というものが、実体験的、観念的に遠ざかった状態において死というものは、ことさら強いインパクトを他者に与える。そして、それが死ぬ必要性がない可能性があればあるほど大きな影響を及ぼすことができるのだと、考えられる。

そう、自分を殺すという行為には、個人的な生命維持をやめるのではなく、他者の反応を認識した上で、その他者の行動、意識を変えるという機能もそなえているのである。おそらく三島由紀夫の割腹がそのような意味を強く備えていると思う。

私は最近、心が痛むこと、物足りなさにより、人生が、これから生きることがとても空虚であるような気がすることがある。そのような時にふと自殺という可能性も選択肢の中から浮かんでくることがある。しかし、私が自分で死んだところで、何も変えることはないし、返って気味が悪がられるので、やってもあまり意味がない、つまり、それほど他人に与える効果がないのである。なので、選択肢の中でも現実的ではない。

おそらく、死にたいと口に出したり、頭に浮かんだりする人が実際に死なないのは、実際に自分の生命を止めたとしても、もし死なずに生きた時に得るであろう楽しみ、快楽に比べて、それほど大きな意味がないと考えられるからではないだろうか。

だが、それがあらゆる意味、高尚な意味、他人への影響を持つと思われる場合、自分の生命を止めるということが行われる可能性があるのではないだろうか。

そして、影響力がある死、例えば有名人や歴史的な人物である場合、それは歴史の一部となり、人類が文明的な言語を使う限りは永遠に時間の中に生命力を持つことができる。

三島由紀夫の死には、そのような意味が多分に含まれているとも、考えられなくもないのである。

心の痛み、考える心

以前ビートルズの曲を元にheartとmindの違いについて考えて書いた。

私はheartは、痛む心であり、Passiveであり、反応であり、感覚であると考えてる。対してmindは、考える心であり、positiveであり、判断である。Heartとmindは繋がってはいるが、heartの方がmindより、より深く身体の神経と近く、より意識に置くことが難しいと考えている。そしてheartとmindはしばしばその繋がりが曖昧で、相反することもあるだろう。

 

私は今心が痛い。これは失恋によるものが大きいと考えている。すでに判断上、つまりmindではほとんど解決している。もう理性的には失恋を修復することは不可能に近いとほとんどはっきり認識できている。

しかし、痛む心、heartでは解決できてないのだ。そして、不思議なことにみぞおちの上の方に何か足りないものを感じるのだ。刺々したものが刺さった、もしくは抜けた状態である。

そして、この感覚は意識化では何にもできない。

いくら判断上では解決できても、痛む心の方は解決できないのだ。実はこれほどまで意識がどうしようもない範囲で、分離状態が起きているのはほぼ経験したことがない。それに意識上は解決できているため、うつ状態のような判断上の苦しさはあまり感じていない。

何かが足りないという感覚が続いている。何をやっても満たされないのだ。まるで元からあったものが切り離されたみたいに。

 

おそらく、小さい頃母親、もしくは両親と別れた人で捨てられるような経験をした人は、同じような感覚を心に感じているのかもしれない。

それは、まあ今の私が感じている感覚よりも長く残るかもしれないし、他の母親的な人を探し、見つけることで満たされるのかもしれない。いや、その人の人生はそれを満たす方向性に進むのかもしれない。

 

私が今思うのは、この感覚、心の喪失感はおそらく判断で解決するものではないということである。だから今私にできることは、この感覚を感じながら、進み続けることだと思っている。そして、そのようにできる方向性は今見つめられている。

人は人、他人は他人

人は人、他人は他人とはよく聞くが、そういう人も大抵は会社に就職し、家庭を持ち、子供を持ち、世間一般の社会的地位を持ち、子供によい大学に行って企業に就職して…というのが当たり前だと思っているだろう。それはそれでいい。

ただそこに他人より、自分の方が上に行きたい、あいつには勝ちたい、あの人と比べれば自分なんてだめだ、自分は半端ものだと考えることによって自己と他人を比較し、苦悩を抱えてしまう。私もそうであった。いや、最近もどこかでは考えているかもしれないが、意識しないようにしている。

しかし、このように他人と競争するのではなく、自分と他人に一線を引いた生き方、または道を唱えた2人の先人がいる。

2人とも剣と禅の修行に打ち込んだ人物である。

1人は柳生石舟斎である。新陰流を創始者である上泉伊勢守から新陰流を受け継いだ兵法家である。

武道、古くは兵法と呼ばれた、の考え方は中々面白く、刀や槍、弓を持って人に打ち勝つ方法だけではなく、そこには身体感覚を通して得た経験による哲学や悟りの境地などのようなものを説くものが多い。

新陰流にも殺人刀・活人剣思想や心のあり方、転(まほろぼ)の考え方など、哲学的な考え方が多くある。

その中でも、柳生石舟斎が述べた言葉は平凡でありながら深い意味を持っている。

「昨日の我に今日は勝つべし」

武道・兵法の世界では、古来他人に打ち勝つにはどうすればいいだろうかということを史上命題として考えられてきた。

その兵法においての答えが、他人に打ち勝つ前に、過去の自分に打ち勝てというものである。

これは勝負事において様々な場をかいくぐった人やプロフェッショナルならわかるのかもしれない。

私にはまだわからない。

もう1人は勝海舟である。

「行蔵は我に存す。毀誉は人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。」

勝海舟は幕府の重臣にもあったにもかかわらず、明治になり新政府に協力していたことに関して、福澤諭吉に『痩せ我慢の説』の中で、榎本武揚と共に批判されたのだが、それに対して勝が述べた返答である。

何なのかはわからないが、勝海舟の世の捉え方、批判のかわし方に関して機知を感じる。

このような考えは禅によるものなのだろうか、わからない。

だが、何かを極める時に自分と向き合うこと、そして、自らの行いと、それに対する他人の考え、感想とはっきりと一線を引くことには学ぶものが大きくあると感じている。

西郷は偉大

「おれは今までに天下で恐ろしい男を二人見た。それは横井小楠と西郷南州だ。」

勝海舟は日本史上、頭脳においてはかなり傑出した人物の一人だろう。その勝が恐ろしいという人物の一人が西郷南州こと、西郷隆盛である。

氷川清話という、勝海舟がべらべらと戦国武将や幕末、明治の出来事について自身の見識を語る本の中で、西郷は特に絶賛されている。あの坂本龍馬でも器の大きさでは及ばなかったと語っている。

この西郷、何がすごいのだろうか。

私はこの度の禁欲、無反応生活から一つ気づいたことがある。

西郷は下級ではあるが武士の家に生まれたらしい。当時、藩政改革が求められている中、島津齊彬に認められて出世したのである。

この島津齊彬という男も中々の人物である。薩摩藩こと鹿児島藩の藩主であり、洋学に通じており、幕末に西洋列強の脅威を感じ、近代工業化、富国強兵政策を藩の中で推し進めた。その政策の一環として、小さな工業地帯を鹿児島に作り、写真技術、大砲、機雷、砂糖の精製、塩酸・硫酸、蒸気機関の製造、はたまた蒸気船の開発までをやってしまうという一大事業を成し遂げている。

この島津齊彬、西郷に途轍もない魅力を感じてしまう。上級武士ではない西郷に重役を任せ、西郷も期待に答える感じでメキメキと頭角を現すようになる。齊彬は、西郷を使いこなせるのは自分だけだと語っていたらしい。また西郷があまりにも短期だったため、人に何を言われても感情的に言い返すなと言っていたらしい。

やがて黒船が来航し、幕府が開国を決めた後、島津齊彬は天然痘により命を落とす。西郷はその死に際して、自らも命を断とうとしたようである。

そして齊彬の死後、鹿児島藩当主となったのは島津久光であった。この島津久光というのは齊彬の異母兄妹で、人としての器は齊彬に全く及ばない。西郷は全くそりが合わず、事あるごとに反発、「上様は田舎者でありますので」と言ってしまう始末であった。久光は西郷の態度に激怒し、西郷を島流しの刑にしてしまう。

西郷は二度の島流しに合い、二度目は奄美に流された。牢屋に閉じ込められ、風雨に吹き晒される中、骨と皮だけになったこともあったがらやがて住民たちに認められ、牢から出て自由に暮らすようになった。この時に妻を娶り、子供が生まれている。

その後、大久保利通らの懇願により、藩から許しが出て、西郷は藩政に舞い戻ることになった。以後は皆が知るように歴史の転換期に大きな活躍をし、そしてその変わりゆく歴史の流れの中で命を落とした。

その西郷の言っていた言葉で有名な言葉がある。「敬天愛人」天を敬い、人を愛す。

言わずも知れた有名な言葉だ。西郷さんの像の横にも紹介されてある。

そして、この度、やっとこの言葉の意味が体感できたのである。

それは、私が禁欲をやり始めて、卑猥な妄想をやめる、さらには過去の出来事や、他人の行動・言動に対して反応することをやめようとしていることによって気付かされた。

どんなに相手が理不尽なことを言っても、行ってもそれに対して反応しない。このことを実践してみて否応にもこの言葉がわかった。

ある出来事があったのだが、私の心は反応するのを必死に堪えた。体は感情的になろうとし、涙が出そうになったが、相手の行動に善悪判断を下したり、自分が被害を受けているなどの反応を堪えた。

一旦落ち着いて遠くの景色を見て堪えているとなんとか自然と抑えられたのである。

以前の私なら感情的になったり、相手に負けるかと執念を燃やしたり、相手の評価を自分の中で下げたり、逆に自分の至らなさを感じ、自虐的になったりした。

だが反応を堪えてみて、なんともないことがわかった。

そして、この敬天愛人という言葉の意味が半分わかったのである。

人や人の行いを自分の見識により、非難したり、判断したりするのをやめる。そうすると、人は人であり自分は自分であるという大きな心が持てる。これは人の実在を真に条件なく、認めてあげること、つまり愛するということにつながるのではないかということである。

天を敬うということに関しては、まだわからないところがある。だが、この言葉を語った西郷南州こと、西郷隆盛はやはり並大抵の人物ではないと思ったのである。