hiro

hiroの日常を語るブログ

日々新たに

日々新にして又日々新に

これは禅語である。

原文は日々新又日々新

お茶席に参加するとこのような文字を書いた掛け軸が掛かっているのを見たことある人は多いかもしれない。

何に対しても新しい心で接すれば、すべては新しい。

前に時間について述べた。

過去、未来もすべて今である。過去、現在、未来は相対的である。

過去は時間ゲシュタルトとして存在するものであり、現在と相対的であるならば、過去は現在の判断にとって作用を及ぼすか?

例えば過去に自分に対して傷つけてきた人に対して、過去の記憶を持って接するべきなのか?

私が思うに、私の経験からは、そうなる時もあるが、そうしなくてもいいと思っている。

過去、現在、未来が相対的な存在であり、それらが全て今この瞬間という単位においては同質であるとすれば、現在全て接するものに対して、過去の出来事を適用する必要はない。

過去に一度会ったことある人、嫌なことを思い出させる人に対しても新しい気持ちで接してもいいのではないかと思う。

私は最近昔いやな気分をさせられたように思う人に会ったが、そのいやな気分はいつのまにか忘れ、話しかけていた。

なぜなのかはわからないが、新しく会うような気がしたのである。