自分のやりたいことについて
自分のやりたいことは〜である。または何であろうか。
世の人はこのようなことを一度は自分に問うてみたことがあると思う。
また世の中には、このような答えが見つからないという意見もあるし、反対に見つかったという意見もあると聞く。
まるでコインの裏と表のように反対の意見が世の中には溢れているのだ。
私も何度もこの問いを自分に投げかけてみたことがある。その都度答えたり、答えきれなかったりした。そして、現在この問いに答えたように自分がなっているか、というとそうでもない。
多くの人にこのような経験はあるのではないだろうか。そして、答えがなかったり、この問い自体に意味がないと考えたりする意見もあるだろう。
実際私もそう思ったりした。
では、自分のやりたいことは〜であるという答えにはどのような意味があるのだろうか。
おそらく、それは禅の公案のようなものであると思う。
有名な白隠の公案、隻手の音を聞け、にあるように、正直いって、このような問は答えを簡単に出せる問題ではないだろう。
これと同じで、自分のやりたいことに関して答えというのは簡単に出るかもしれないし、出ないかもしれない。
しかし、それとは関係なく、時は過ぎるのである。
そして、ある時に自分のやりたいことはこれである、という答えが出るかもしれない。
時間がかかるかもしれないが、そのようにして得られた答えというのは、ある意味悟りのようなものであり、人生を生きてきた証であるかもしれない。