hiro

hiroの日常を語るブログ

アンナ・カレーニナを読んで

アンナ・カレーニナトルストイによって書かれた小説である。

この本には様々な対比が使われており、それがこの物語をいっそう面白くしてくれる。

この本には3つのカップルがでてくる。

1つはアンナとヴロンスキー、2つ目はオブロンスキーとドリィ、3つ目はリョーヴィンとキチィである。

 そして、アンナという人物を取り巻いて、2人の男がいる。1人が夫で政治家のカレーニン、もう1人が軍人のヴロンスキー。この2人の性格も、全く違う。カレーニンがつねにキリスト教的な精神や世間体に意識を向け、時には自分の心を犠牲にする。性格は常に冷静であろうとし、ささやかな愛情でさえも理性で濁そうとする。対して、ヴロンスキーは世間体や出世、信仰に目を向けず、自分の欲望に正直である。そして、時には高慢に映る性格をしている。

 しかし、そのような性格をしている2人も結局は反対の心へと惑わされるのである。カレーニンは自分のアンナへの愛や自分への侮辱に対する感情に対し、気づかないように努めながらも、時にヒステリックになり、その愛や侮辱に非常に苦しむのである。そして最終的に新興宗教家のような人物の考えを信奉するようになってしまう。ヴロンスキーは、アンナという美しい女性を手にする代わりに、彼女の苦しみと自分の貴族社会での出世を犠牲にし、芸術活動や農業経営など新しい生活に生きようとするも、結局のところ貴族社会に未練があるようなそぶりを見せ、そしてアンナと一緒にいる生活に疑問を感じるようになる。

 アンナはこの2人の中を揺れ動く。カレーニンと別れ、ヴロンスキーの元に行くも、出産の際に死にかけた際には、カレーニンと会うことを望み、その心に彼に対する罪の意識と、一瞬ではあるが愛情が蘇る。ここでアンナはカレーニンの元に戻るのであるが、ブロンスキーが自殺を図り、アンナの容体がまたよくなってくると、カレーニンに対する嫌悪の気持ちが復活し、ヴロンスキーの元へ戻るのである。この一旦のリセットがあった以降、アンナの気持ちはヴロンスキーへの愛一色になる。一命をとりとめたヴロンスキーと生活を共にするも、アンナの地持ちは満たされない。やがてアンナはヴロンスキーの中に自分に対する冷めた感情を見るようになり、彼の浮気や捨てられるのではないかと考えるようになる。アンナはモルヒネ中毒になり、現実逃避から自分の養子にしたイギリス人の女の子を溺愛するも、それさえもヴロンスキーに咎められ、またアンナも自分を偽っていることに気づくのである。

 そして、ヴロンスキーでさえも、憎しみの対象としか見れなくなったアンナは最終的に死を選ぶことを決意する。あれほど美しく、精力的に華々しく輝いたアンナが今度は、この世において永遠かつ完全な静止である死を選ぶのである。そして鉄道に飛び込んだアンナは最後の最後に華々しく生命を輝かせながら、その命を散らす。だが死んでもなおアンナはその存在を完全に消すわけではない。自身の姿を生き映させた娘は、アンナの死後カレーニンに引き取られるのである。アンナはカレーニンと離れたかったにも関わらず、結局カレーニンと離婚することができなかったため、ヴロンスキーとの子供は法律上の夫であるカレーニンに引き取られることになったのだ。また作中にも描かれているが、カレーニンは血の繋がっていないアンナの娘にささやかな愛情を感じている。

 アンナとヴロンスキーのカップルと対比するように、リョーヴィンとキチィというカップルの愛情の育みも本作の重要な位置を占めている。このリョーヴィンという男は、作者トルストイ自身である。アンナとこのリョーヴィンのカップルは、物語の最初と最後、そしてキチィの姉ドリィの夫であるオブロンスキーがアンナの兄であるという婚姻関係以外は両者はほとんど交わることがないのである。にもかかわらず完全なる対比という面で、両者は物語を作り上げている。